カテゴリー別アーカイブ: シリーズデータで見る美濃町線

14. 線路は残っているか その7

シリーズ・データで見る美濃町線 美濃町線廃線跡 関ー新関間 橋梁:No.55開渠(かいきょ) 線路北西側の測道より撮影 2007/8/19撮影(Canon IXY DIGTAL 600使用)  橋梁には、次のように表示されています。 「橋梁名 No.55開渠」「位置 徹明町起点18k737.61」「支間 2M34」 (ここの位置:地図、航空写真)  この写真では草に隠れてよく見えませんが、次のようにも表示されています。 「荷重 26tボギー」「塗装年月2004年2月」「塗装者 佐野塗装(株)」  また、 「塗料名 使用塗料名 日本ペイント(株) 下塗 シアナミドヘルゴン 中 上塗 CRシリコン」 と表示されています。  2004年の2月に塗装しなおされているようで、非常に良い状態です。少なくともこの部分に関しては、赤字路線にしては、良くメンテナンスされていると言えるでしょう。 解説:  この橋梁の表示から、美濃町線がおかれた状況を垣間見る事が出来ます。  岐阜地域公共交通等調査検討協議会の「これまでの活動」のページによりますと、名鉄から「平成16年度を目途とした岐阜600V線区からの経営撤退に向けて関係自治体と協議を進めます。」という連絡が有ったのが平成15年1月24日ということですから、この日から約1年後の平成16年(2004年)2月に塗装され、そのさらに約1年後の平成17年(2005年)4月1日に廃線になったと言うことになります。  同ページによれば、この塗装が行われたのは「平成16年2月3日〜2月19日 沿線市町を訪れた名鉄の木村社長らより、3月1日から撤退の手続きに入る旨の説明を受ける。」という時期で、また、このこの後、上下分離による経営の検討などが行われています。  大きな組織では年度ごとに予算を立てて物事を進めますが、組織が大きければそれだけ予算を立てるのにも時間がかかります。塗装が行われた2004年2月は平成15年度ですが、平成15年度の予算は平成14年=2002年の冬にはおそらく出来上がっているので、塗装を決めた時にはまだ廃止の予定はなかったのではないかと思われます。  撤退を表明した名鉄でさえ、組織が大きいが故に廃止予定の橋梁の塗装を見合わせる事が出来なかったぐらいですから、税金を使って物事を進めるが故に、新たな取り組みに多大な時間を要する自治体にとっては、美濃町線廃線問題は、非常に時間が足りなくて、担当者はさぞ苦労されたことと想像出来ます。  近鉄養老線は2007年(平成19年)10月1日から上下分離方式で近鉄100%出資の子会社「養老鉄道株式会社」に引き継がれる事になったようですが、美濃町線等の廃止の苦い経験が少なからずいかされた結果であると想像出来ます。  この様な問題点に対応するために、最近「地域公共交通活性化再生法」が成立し(2007年8月8日の産経新聞のWeb版の記事)「鉄道の廃止届が出されてもある条件を満たせば廃止を延期できる」ように成りましたが、「事業者と自治体・住民が公式協議の場を持(産経の記事より)」つ事が必要です。つまり、「住民も参加して地域全体で交通システムを積極的に支え(同記事より)」る事が必要ということですから、地域住民のやる気次第ということでしょうか。(これは、結構高いハードルかも知れません。)  なお、下塗のシアナミドヘルゴンは商品名の様です。「シアナミド」は有機化合物の名称です。JIS規格は例えばここ。

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13. 線路は残っているか その6

シリーズ・データで見る美濃町線 美濃町線廃線跡 関ー新関間 一般県道 関美濃線より南西を望む 2007/8/19撮影(Canon IXY DIGTAL 600使用)  前回の位置よりもう少し西に移動して撮影しました。少し奧の方が見えます。前回の撮影の後に草刈りをされたようで、きれいになってますね。画面右側の小道を通って、旧線路沿いに徒歩などで新関駅方向へ行くことが出来ます。  次回は画面中央に見えるトラサクの所にある小さな橋を紹介します。 この部分の地図 この部分の航空写真

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12. 線路は残っているか その5

シリーズ・データで見る美濃町線 一般県道 関美濃線の元踏切部分その3(美濃町線廃線跡 関ー新関間) 元踏切西端より南西を望む 2007/7/24撮影(Canon IXY DIGTAL 600使用)  前回の写真の奧の方へ近づいた写真です。一般県道 関美濃線の元踏切部分の様子です。線路撤去計画の資料では、この部分の撤去は約0.1kmとなっていますが、一連の写真から分かるように、撤去されたのは踏切とその前後の線路のみで、0.01kmの桁を四捨五入又は切り上げて0.1kmと表現しているようです。  もうひとつ分かることは線路は道路とほぼ直交していた様ですので、この写真部分の線路はきわめて急なS字カーブであった事です。このために、鉄道ファンに人気が高く、しばしば貸し切り列車が運転された510型はカーブを曲がりきれないために新関駅までの運転で、関駅には乗り入れ出来なかったそうです。  一部に導入の検討を期待する声があった、JR北海道開発のDMVもこのS字は曲がれないと考えられます。  この部分は、元々道路の中央を美濃に向かって走る軌道につながるように敷設された線路で、美濃町線の新関=美濃間の廃止に伴い、新関=関間の線路を敷設したために、この様な条件の厳しい線路になった模様です。  使用する車両によっては改良を要する部分であったといえます。 この部分の地図 この部分の航空写真

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11. 線路は残っているか その4

シリーズ・データで見る美濃町線 一般県道 関美濃線の元踏切部分その2 元踏切北方より南西を望む 2007/7/24撮影(Canon IXY DIGTAL 600使用)  引き続いて 一般県道 関美濃線の元踏切部分の様子です。画面左側が関駅、画面中央右側の小道を奥に進むと新関駅方面です。画面中央、電柱が沢山立っている辺りがとても気になりますね。  次回は、その気になる部分にもう少し近寄ってみます。

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10線路は残っているかその3

シリーズ・データで見る美濃町線 一般県道 関美濃線の元踏切部分 関駅南西、美濃町線の撤去された踏み切り 2007/7/24撮影(Canon IXY DIGTAL 600使用)  カメラの画面に収まらなくて、斜めに撮影しました。画面中央のアスファルトの色が濃い所に線路が有りました。両側の歩道もきれいに整備されています。  実はこの踏切、踏切信号だったそうです。関市役所の方のお話では、ここを通過する自動車はみなさん一時停止していたと言うことです。  踏切信号は一時停止の必要がありませんが、知らないドライバーも多いので、一時停止の自動車に追突しないように、導入する場合は事故ないよう、十分な事前準備が必要ですね。  踏切信号については、ここを参考にして下さい。(ここにもちょっとあります。

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